行間から命懸けで生きている「当事者」たちの生身の声や共感が聞こえてくるような本です。
「障害受容」というテーマは従来リハビリテーションの研究者、医師、セラピスト、看護職、その他医療専門家の間で、リハビリテーションにおける究極の過程であり、「受容することで」当事者に価値の転換を促し、積極的にリハ訓練に取り組む契機となる、リハにおけるいわば目標として位置付けられてきました。しかし「障害」はひとり当事者のみの問題ではなく、家族、支援者(治療者を含む)さらには文化や宗教にも関わる多元的な問題であり、「受容」という課題は、それぞれの立場により大きく異なる複雑で輻輳的なものです。また専門家の用いる「障害受容」については当事者への「受容」の押し付け、圧力にもなりかねないことから、近年、特に専門家の用いる「障害受容」の言葉の使用法に対しての批判も少なからず提起されるようになってきています。
このような状況のなかで、「障害受容について/から考える研究会」を立ちあげ、本テーマにつき3年間、14回にわたって議論を重ねてきた、主としてリハ専門職の人たちが、当事者、家族、支援者の参加を得て、ともに生身で語りあった記録をもとに書籍化したものです。「障害受容」の意味を考える中で「障害を生きること」の肯定こそが重要ではないかという結語に至った人たちによって編まれています。
どれもこれも深い内省に富んだ文章がならんでいますが、とりわけ感動するのは当事者や家族の方たちの命懸けで生きている、声や支援者の共感の声が聞こえてくるような文章が随所に散りばめられていることです。
「障害受容」というテーマは従来リハビリテーションの研究者、医師、セラピスト、看護職、その他医療専門家の間で、リハビリテーションにおける究極の過程であり、「受容することで」当事者に価値の転換を促し、積極的にリハ訓練に取り組む契機となる、リハにおけるいわば目標として位置付けられてきました。しかし「障害」はひとり当事者のみの問題ではなく、家族、支援者(治療者を含む)さらには文化や宗教にも関わる多元的な問題であり、「受容」という課題は、それぞれの立場により大きく異なる複雑で輻輳的なものです。また専門家の用いる「障害受容」については当事者への「受容」の押し付け、圧力にもなりかねないことから、近年、特に専門家の用いる「障害受容」の言葉の使用法に対しての批判も少なからず提起されるようになってきています。
このような状況のなかで、「障害受容について/から考える研究会」を立ちあげ、本テーマにつき3年間、14回にわたって議論を重ねてきた、主としてリハ専門職の人たちが、当事者、家族、支援者の参加を得て、ともに生身で語りあった記録をもとに書籍化したものです。「障害受容」の意味を考える中で「障害を生きること」の肯定こそが重要ではないかという結語に至った人たちによって編まれています。
どれもこれも深い内省に富んだ文章がならんでいますが、とりわけ感動するのは当事者や家族の方たちの命懸けで生きている、声や支援者の共感の声が聞こえてくるような文章が随所に散りばめられていることです。
「障害受容について/から考える研究会」のメンバー以外に、このテーマに深い見識を持つ、自ら当事者の家族でもある渡邊芳之(帯広畜産大学教授、心理学)、村上靖彦(大阪大学大学院教授、小児精神医学)、川口有美子(ケアサポートモモ代表取締役)の3氏に特別寄稿をいただき、会のメンバーと支援者である岩井阿礼(淑徳大学教員、当事者)、堀越喜晴(言語学者、当事者)、中西英一(藍野大学作業療法学科教員)、 まさきゆみこ、渡喜代美、芹生明、山谷秀昭氏らにご執筆いただきました。
- はじめに
- 障害受容から障害を生きることの肯定へ?
第一章 当事者の向き合いかた、受け入れかた
- ギラン・バレー症候群の障害受容/「語る」こと「聴く」ことを通じての「つながり」が回復の鍵かも知れない―「パニック障害」とともに/がんサバイバー、オストメイトの立場から「受容」について考える/〈コラム〉「障害」を引き受けていく作業のこと?
第二章 家族の向き合いかた、受け入れかた
- 〈寄稿〉発達障害児の親と障害受容/〈寄稿〉家族による障害受容の一例/〈コラム〉「障害」を生きるうえで大切なこと
第三章 支援者の向き合いかた、受け入れかた
- 受容から、リカバリーへ―専門職が受容すること/〈寄稿〉ALS患者の家族に必要な支援とは
第四章 宗教者の向き合いかた、受け入れかた
- キリスト教およびキリスト教会のなかでの/障害(者)理解について
第五章 〈インタビュー〉家族の障害受容を考える
- 親は受容しても治ることをいつでも願っている
- インタビューを終えて―まとめにかえて
- あとがき