太平洋戦争終戦直後の昭和22年、わずか18歳の札幌に住む少女が、史上最年少の若さで英語通訳試験に合格する。少女はそのまま米軍病院に通訳兼作業療法助手として勤務する。そして4年後日本初の奨学生として、米国オレゴン州立大学に作業療法を本格的に学ぶべく留学した。それはこの時代の日本の少女たちすべてのガールズドリームの実現でもあった。そして帰国後、まだ作業療法士という資格も、職種も確立していない時代ではあったが、全国の精神科施設で作業療法を広めるべく実践した。本書はその留学から日本での実践までをつづった本人による記録である。昭和44年発行の同名著書の復刻版。
推薦文(杉原素子)
序文(中川秀三)
序文(中 脩三)
一、アイオワ州立精神病院
二、O・Tとは何か
- (1)O・Tの歴史
- (2)O・Tの理論
- (a)美術療法/(b) 手工芸療法/(c)音楽・レクリエーション療法/(d)作業療法
- (3)どんな人が治療者として望ましいか
三、O・Tにおける患者と私
- (1)神経衰弱の戦争花嫁
- (2)精神分裂病の母親
- (3)金づちをふるう狂暴性患者
- (4)黒枠の中の乙女
- (5)大人にならない子供
- (6)子供を異常と見る母親の異常性
- (7)レクリエーションのひと時
四、留学を終えて
五、日本での治療体験
- (1)病気が治ればただの人
- (2)ロボトミー手術後のケース
- (3)幸福のおふだ
- (4)言語療法を兼ねた治療
- (5)九大病院心療内科での治療体験
六、「精神病者の村」と「病院学校」
- 〔付〕O・Tについて―研究発表要旨―
- あとがき(長谷川峰子)
- 復刻版あとがき(長谷川峰子)