“リハビリテーション”という言葉すら日本に定着していなかった時代、1人でも多くの障害者がその人らしい充実した人生を送れるよう、奔走した若い医師がいた。理想と情熱に燃えたこの医師は、やがて“地域リハビリテーションの父”となった。
日本のリハビリテーションを確固たるものにした医師・澤村誠志の半生と、共に駆け抜けた仲間たちの活躍を振り返り、超高齢化社会を迎える日本が真の福祉国家となる道を示す。
1930年神戸市に生まれる。1955 年神戸医大卒、整形外科入局、「切断者のリハ」をライフワークとする。1959 年米国シアトルスウェデイッシュホスピタル勤務後、カリフォルニア大学で義肢学を学ぶ。帰国後神戸大学整形外科講師。兵庫県立身体障害者更生相談所・指導所にて切断者のリハビリ開始、22 年間更生相談所所長を兼務。1969年兵庫県立総合リハビリテーションセンター開設、以後副院長、院長、所長を経て、現在兵庫県社会福祉事業団顧問、中央病院名誉院長。1973年兵庫県リハビリテーシヨン協議会会長に就任、2012 年以後顧問。1974 年ISPO(国際義肢装具協会)の設立後、日本支部会長、ISPO 理事、副会長、第6 回ISPO 世界大会神戸(1989年)を主催。1992年ISPO 次期会長を経てアムステルダム世界大会まで会長職(1995〜1998)を務める。1992年日本リハビリテーション医学会会長。「地域リハ」をライフワークとする。日本リハビリテーション病院・施設協会会長職に就き、2003年10月より、名誉会長をつとめる。1997年日本福祉のまちづくり研究会の設立に伴い副会長を経て、2001 年より、2005 年まで日本福祉のまちづくり学会会長に就任。2002年日本リハビリテーション連携科学学会理事長に就任し、2011 年顧問に就任。2003年神戸医療福祉専門学校三田校校長に就任し現在に至る。
目次 地域リハビリテーションと私社会の役に立ってなんぼ
「地域リハビリテーションと私」の出版にさいして(澤村誠志)
第1章 障害のある人々、患者さんが私の先生、地域での生活が教科書(澤村誠志)
第2章 我が国の義肢装具に関する基盤整備にとりかかる(澤村誠志)
第3章 「地域リハビリテーション」をライフワークとして選ぶ(澤村誠志)
第4章 地域包括ケアを支える地域リハビリテーションシステムの構築(澤村誠志)
第5章 地域リハビリテーションを支えた人々と私
- 1.地域リハビリテーションと地域包括ケアの1目指す山頂は同じ(澤村誠志/山口 昇)
- 2.「地域リハビリテーションの心の変わらぬ理念は住民主体の活動をつくること」−誰よりも信頼できる仲間と歩んで(澤村誠志/大田仁史)
- 3.患者さんと同じ目線の医者になりたくて(米満弘之)
- 4.澤村先生からリーダーの哲学を教わる(浜村明徳)
- 5.澤村先生との出会いが僕の転換点(石川 誠)
- 6.澤村先生は偉人(渡辺英夫)
- 7.義肢装具士育ての親(德田章三)
- 8.澤村先生との思い出(鈴木重行)
- 9.澤村先生はすごい(中村春基)
- 10.20年間僕は澤村先生の背中から学んできた(陳 隆明)
第6章 若い世代への期待(澤村誠志)
第7章 最後に、妻への感謝(澤村誠志)
謝辞(三輪 敏)